Another Sky 〜aheadフィルムとSDGs〜 Vol.1

 対談 清宮克幸×近藤正純ロバート

—近藤さんは代表取締役、清宮さんは取締役としてフィルム事業を営む株式会社aheadの役員に名を連ねてらっしゃいます。近藤さんは銀行員から独立してベンチャー企業を立ち上げ、これまで20年に渡ってahead誌を世に出し続けて来られました。
一方、清宮さんはラグビーの世界で最初は選手として、その後は監督として数々の実績を挙げ、誰もがその名を知る存在です。来歴の違うおふたりが一緒に会社を立ち上げることになった経緯を教えていただけますか?

清宮 僕の長年の親友がロバートさんの奥さんと知り合いで、ロバートさんと一緒にゴルフをするようになったのがきっかけです。aheadフィルムに関してはロバートさんから「どう思う?」と聞かれました。

—どう思われたんですか?

清宮 僕自身、これまでラグビーの世界で人がやらないことをやってきました。「唯一無二」「日本で初めて」という言葉が好きで、そういう基準に沿って自分の行動を決めてきたんです。ロバートさんが「清宮さん、すでにある遮熱フィルムって紫外線カット99%のものはあるけど、100%のものはないんです。このフィルムは日本でただ一つの紫外線100%カットフィルムなんです」と言われて、唯一無二というフレーズが僕には刺さりました。
唯一無二のものはそれだけで価値がある。その価値あるものをどうやったら形にできるか、どうやったら広めることができるか、いろいろなアイデアが浮かんできたんです。ああしたらいいんじゃないか、こうしたらいいんじゃないかとそんな話をしていたら、じゃあ一緒に会社を作らない? という話になりました。

近藤 清宮さんのアイデアの素晴らしさはもちろんだけど、清宮さんのためならなんでもしますよという人が本当にたくさんいて、僕はそれは何でなんだろうという興味もあった。おそらく唯一無二のチャレンジをしてきて、それを一緒に達成した仲間がいる。その何ものにも変えがたい経験を共にしたからこその強い絆なんだなと。その清宮さんの持つ力、知恵、魅力に僕も学びたいし、清宮さんの他にも面白い仲間が集まってくれたから、世界で唯一無二の製品をこういう仲間たちと一緒に世の中に広めていくという勝負ができることはすごくわくわくするし、エキサイティングだなと。
このチームだったら面白そうなことができる、そういう予感があった。

—aheadの読者も概ねみんなそれなりに人生経験を積んできた世代です。人生100年時代と言われるようになって、これから先どうシフトしていけばいいかと悩んでいる人も多いと思うんです。今の年齢から新しいことをするなら、面白いと思えるかどうかが大事なのかもしれませんね。

清宮 楽しい仲間と面白いことをしたい。そりゃあそうだよね。お互いすでに自分のポジションは確立されているわけだから。

 実は先日こんなことがあったんです。ロバートさんと一緒に、ある大きな団体の偉い方にプレゼンをしに行った。でもそこでの会話が面白くなくて。もし、その団体と組めた時にはそれなりの大きな成果が見込まれたんだけど、なんか面白くなさそうだから、やめようとなったんです。

—なるほど、でもそもそも、すでに自分のポジションがある中で、わざわざ新しい世界で新しいことをするのはリスクがありますよね。その中にいれば安泰なのに、失敗したら…とは考えなかったのですか。

清宮 新しいことに挑戦することは失敗しようが成功しようがそれだけで価値があるんです。僕は2019年にラグビーの監督を辞めて、日本ラグビーフットボール協会の副会長に就任しました。なぜなったかというと、日本のラグビーは今のままだと構造的に存続が難しくなるだろうとずっと考えてきたからです。
2019年のラグビーワールドカップを成功させる事に皆が注力していたんだけど、終わった後に何をやるか、どうなりたいかを形にしようと。

 具体的にはトップリーグをプロ化して新しい収入源を得て、これまでのラグビーの仕組みを変えよう、日本のラグビーの未来を作ることに邁進しようと決めたんです。一年ほどがむしゃらにやりました。でも結果的には失敗。僕が思ってたようにはならなかった。でも僕にとってそれは挫折でもなければ躓きでもない。僕がやろうとしていたことは正しいと今でも思っているしね。それにその過程でたくさんの新しい出会いがあって、自分が高められていくという経験もできた。

—そしてその後、aheadフィルムに続くんですね。

清宮 そう。そんなことがあって僕は現場を退いたんですが、その後、コロナがやってきた。少し時間もできて、たくさんゴルフもするようになり、いろんな人と知り合うようになって、じゃあこれまでやって来なかったことをやろうかというエネルギーが湧いてきた時期だった。一つの節目ですね。

—タイミングが合ったんですね。それでまた新しいチャレンジに向かわれたわけですが、清宮さんにとって挑戦とはそれ自体に意味があって、成功や失敗は結果でしかない。

清宮 何か判断をしたとき、その時点では先のことは誰にも分からない。最終的に良い結果を出した時点で、振り返ると一番いい道を選んだ、となるけどね。だから、自分の判断が正しかったとなるように、その後を見据えて行動していく。自分の判断によって例えば組織が動いて、いろんな化学変化が生まれる。その過程で、うまくいくように自分のエネルギーを注ぎ込んで行くんです。

 僕はずっとそうやって結果を残してきた。反対する人たちだっているけど、僕は周りの圧力なんてまったく気にしませんね。

—そこが清宮さんの強さですね(笑) 
近藤さんはどうですか。ご自身もエリートビジネスマンの約束された将来を捨てて起業し、出版業界のしきたりに乗らずに、苦労しながらも独自のやり方で道を拓いてきましたよね。

近藤 そうだね。クルマやバイクの楽しさを伝えたいと始めた雑誌aheadが今年で20周年を迎えたんだけど、その間に時代は劇的に変化したよね。もっとクルマに乗ろう、バイクに乗ろうと言ってきたけど、地球温暖化によって、好きだからとやみくもにクルマやバイクを楽しむことが許されない時代になってしまった。でもクルマやバイクによって人生を楽しんだり、救われたりする人もいるわけで、クルマやバイクの魅力や価値がなくなったわけでもない。ひとりのクルマ、バイク好きとしては、そこに葛藤があり悩みがあるんだけど、それ以上に、僕には「もっとクルマやバイクに乗ろう」と言ってきた責任があると思っているんだ。

—確かにそうですね。

近藤 そんなときにこのフィルムに出会って、これだ! と思った。クルマの窓に貼ることによって紫外線は100%、さらに赤外線が99%カットできる。そうすると夏の暑さから人を守ることもできるし、エアコンの温度を下げることで燃費や電費にも貢献できる。

 可能性は自動車だけじゃなくて、すでに実績もあるけど、家屋やビルなどの建物に貼ればそれによる環境負荷や光熱費コストへの貢献度はとてつもなく大きい。

 それに、日本のフィルム市場にはジャイアントプレーヤーがいて、開発者の綱島さんはそこに個人で挑もうとしている。そういう心意気にも感じるものがあって、綱島さんや清宮さんたち同世代の人たちと一緒に、この可能性を秘めた製品を世の中に広めていきたいという思いがふつふつと湧いたんだ。

—なるほど。人にも環境にも良い製品を世の中に広める、やりがいがありますね。クルマ好きにとっても、自分の趣味や生きがいと、持続可能性への折り合いの付け方の一つになりそうです。

そしてこれはSDGsの17の目標のうちの13の「気候変動に具体的な対策を」も該当していますね。

近藤 うん。今、世界も日本もSDGsを推進していくことが急務となっていて、僕の6歳と7歳の息子たちが言うんだ。「お父さん、SDGsって知ってる? お父さんは地球にいいこと何かやってるの?」って。

 そういう時代になった中で、何か自分がやれることがあるのかと考えたとき、これからの自分の人生を賭けるにふさわしい製品に出会えたんだと思っている。開発者の綱島さんも「娘たちに胸を張れる」とおっしゃっていたけど、僕も何よりそれがうれしいんだ。

 雑誌のaheadを始めてから20年。どう時代とともに歩んでいくべきかと悩んだ時期もあったけど、これからもクルマやバイクの持っている世界観を伝えることはもちろん、な社会のために貢献できるこのフィルムとの両輪でやっていきたいと決意を新たにしているよ。

|清宮 克幸

1967年大阪府生まれ。高校でラグビーを始め3年生の時に花園の全国大会に出場。高校日本代表にも選出される。1986年に早稲田大学入学。4年時には主将として大学選手権優勝。大学卒業後、1990年にサントリー(株)に入社、ラグビー部で主将を務めるなど中心選手として活躍。2001年に引退後、早稲田大学ラグビー部監督に就任。就任後5年連続で関東大学対抗戦全勝優勝。大学選手権も3度制覇し、早稲田ラグビー復活の原動力となる。以降、サントリーラグビー部監督、ヤマハ発動機ジュビロ(ラグビー)監督を歴任する。株式会社aheadの取締役として近藤正純ロバートらと共にaheadフィルムの事業に携わっている。

|近藤 正純 ロバート

1965年東京生まれ。株式会社レゾナンス代表取締役社長。『ahead』誌プロデューサーとして20年に渡り同誌を発行。2021年に株式会社aheadを設立し、aheadフィルム事業を立ち上げる。